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もくじ

逆ディスクーリング社会      北爪道夫

その夢の過去は〈共〉    北爪道夫
ネグリ/ハート『マルチチュード』を読む

融解する『学校」           北爪道夫
---ポスト近代学校

 

 

 

 



逆ディスクーリング社会

北爪道夫

(1)痴呆化する社会
 痴呆症になってくると、いま自分がどこにいるのかわからなくなります。見慣れた風景なのか、はじめて歩いている場所なのかわからないくなるといいます。見たこともない場所なのに、あたかも既知の風景のようにみえるのでしょうか。それとも徘徊する老人は、道がわからなくて不安なのではなく、見慣れた道のはずなのに、いつまでたっても家に帰り着けないとまどいのなかにいるのでしょうか。
 まだ痴呆には時間がありそうなので、そこらはよくわかりませんが、今日の社会状況は、自分が痴呆にでもなってしまったかのように、自分が今どこにいるのか見当がつかないようなものになってきているようです。もちろん学校現場もそうです。いろんな道具をつかって測ってみても、どうも違うのですね。小さな出来事も、大きな事件も少しずつずれて見えるというか、はっきり見えてこないのです。理論装置も老眼になったように役に立ちそうにないのです。
 この研究会では、学校の「ことば」や「モノ」や「境界」に焦点を当てて、今をクリアーに見ようとしてきました。それぞれの時点では、かなりはっきり見えたようにも思えたものでした。で、今はどうでしょうか。老眼の度が進んでしまったせいか、事態がかすんでしまって、今ひとつよく見えないのです。
 そこで、新しい眼鏡をみんなで開発してみようじゃないか、という話がぼつぼつ出てきています。そこで、わたしも自分の位置測定に役立ちそうなものを拾い集めて、みなさんと一緒に考えていこうと思います。
 で、まずは大ざっぱに、私の「学校/社会」イメージなのですが、イリッチがいってきた「学校化社会」とは様相が違うのでしょうが、社会が学校になってしまった、ということが言えるのではないかと思います。では、学校はといえば、これまでの学校のルールが融解して、いわば社会になってしまったのではないか。それも不定形の欲望が群れる社会。これまでは学校は社会の中の小さな集団だったのに、いまや社会が学校そのものになり、この学校化した社会の外部は存在しなくなった。昔は学校の外に、「社会」といわれる開放的だか、拘束的だかしれない未知の世界が存在した。そういうイメージを学校の生徒たちは抱いていた。ところが、いまや「社会という学校」の外には出られない。学校の外に社会という外部があることが、学校生活の意味をある種限定していたので、学校のイメージは明確でした。その社会がない、と言われたら生徒と同じく、私たちは混乱したイメージの中にたたき込まれます。
 いまや逆に、「学校」がかつての社会のように、外部として立ち現れ、開放的あるいは拘束的かもしれない不定形の世界になっている。社会から逃れるようにして、学校に駆け込んでくる若者あるいは老人たちがいる。そうした学校を、社会が学校的観点から取り締まっている。そういうイメージを描けるのではないかという仮説を私は立ててみたいと思っています。カッコつけて言えば「逆ディスクーリング社会」。私たちは社会が学校化することで、「外部」をすっかり失った閉塞状況のなかにいる。自己の位置を確認できるのは「外部」があることによりますから、外部を失った〈社会〉の成員は自分がどこにいるのかわからない、あるいはわかったように思い込むが、家に帰りつくことはできない。そういうふうに描いてみたらどうだろう、と。そうなると、「学校と社会」はまるでちがった関係を描くことにならないでしょうか。
 そういう視点から、『学校のことば 教師のことば』『学校のモノ語り』『学校のモノと境界』『学校の境界』を読み直してみたいと思っています。

(2)学校が「学校」でなくなる境界をみる
 2006年の秋、300人くらいの生徒を市民会館のような講堂に集めて、未履修科目の補習をやっている写真などが新聞に載っていたりしました。例の単位未履修問題ですね。これについては年報の4号で中島さんが細部にわたって考察されていますので、その中島さんの論考を参考にしながら考えてみます。
 単位未履修があった私立高校のHPなどをのぞいてみても、保護者などからの批判や不満が噴出した様子はなさそうですし、上記のような補習にたいする批判などもなさそうです。「情報」などの授業を講堂で聞いて、いったい学習したことになるのか、などと批判する人はあまりいないようです。「学習指導要領」ばかりか、学校での「学習」そのものの内実を、実は保護者も生徒も、そのうえ上記のような補習を実施して疑問に思わない教員も、はたまた「政治的判断」で補習時間を「値下げ」した政府も、ほんとうのところ信じてなどいないのだ、ということをハッキリさせてしまったのが「単位未履修問題」だったのではないでしょうか。未履修問題のない学校や教員(私もそうですが)には、ほんと「他人事」であり、かつ、想定外どころか、「まあ、やってるんじゃない」と思っていたわけですから、いまや「学校」は「多様化」の果てに、統一したイメージでとらえることができなくなっているわけでもありましょう。
 かつては「学校」といえば、みんな体験した「なつかしい」場所なり、いやな思い出を語り合って、「学校という所は云々」と経験を交流できたものでした。いま、学校を卒業した生徒たちは、典型的な儀式や行事についてさえ、経験の交流はできないのではないでしょうか。もしかしたら、そうした交流が可能だとさえ思っていないかもしれません。さらには同じ学校出身でも、卒業年が違っていたら、話がかみ合わなくなっていないでしょうか。なにしろ「教育改革」のサイクルは短く、教員の異動も激しいわけですから、たがいに知っている先生の名前すら一致しないのではないでしょうか。「同窓会」の会話は、おそらく変質してこざるを得ないでしょう。
 このような「学校」は、かつての「学校」と同じとは言えないのではないでしょうか。ところが、そういう実態を調査分析する人たちは、こうした学校の変容以前の学校経験を下敷きにして学校を見ていますから、こうした変容を見抜くことは困難です。
 統一したイメージを学校についてもてるのは、学校が社会の中の制度として、社会人を生み出していく機能を担っていると考え、「学校」に子どもを送り込む保護者たちが、自らの学校経験を土台に学校をとらえることができていたからでしょう。いまや保護者たちは学校のイメージを、自らの経験からというよりも、マスコミや政府や「うわさ」が流す学校イメージにまるごと飲み込まれながら、子どもたちを学校に送り込みます。自らの歴史的学校経験から学校を構成するのではなく、教育改革スペクタクル劇場の参加者として学校に関わるのですから、制度としての学校ではなく、情報で構成される学校、いまの教員の評判、学校の評判、評価で学校を見るのです。指導要領を守っているかどうか、つまり制度としての学校がちゃんとしているかどうか、などということは二の次、三の次ではないでしょうか。指導要領を守っていないとしてもその学校が「ニーズ」に応えていればいいわけです。「教育改革」が、消費者として保護者をそのように「教育」してきた成果でもありましょう。
 かくて「社会の中の学校」は、「多様に」展開する個々バラバラの「社会」となり、かつて学校を統制管理していたルールは、消費者の「ニーズ」に合わなくなったとみなされることになります。学校は脱「学校」化し、不定形の〈社会〉への道を歩んでいきます。その個々の「小社会」は、学校的価値を内面化した学校化社会によって、「ニーズ」や「政治的判断」で管理統制されてくることになりましょう。別の言い方をすれば、学校はさまざまな「株式会社」と違わぬものとして政治経済システムから、そのつど統制されたり、「自己決定」のなかに放たれたりする、そういう「小社会」へと大きく変容してくるのです。
 現在の教育潮流の延長線をひいてみれば、そういうことになるのではないのかと思います。いかがでしょう。乱暴に過ぎたかな?

(3)解放区としての学校の可能性
 高校でボランティアを義務化する、と総理大臣が言っているそうです。不二家が賞味期限切れの牛乳を使ったとかで、袋だたきにあっています。ミスタードーナツの新商品に石が混入していたのも大きく報道されます。公務員が飲酒運転したら懲戒免職あたりまえ。これらは〈社会〉の現況。
 学校の生徒が警察に捕まるような事件をおこしたら、学校はどうするでしょうか? 即刻退学にはならないのではないでしょうか。「教育」可能なばあい、学校はこの生徒を切って捨てるべきではない、教育の可能性を信じるべきだ、と多くの教師は思っているでしょう。もっとも、学校生徒、大学生の犯罪がマスコミで大きく報道された場合は、学校関係者がカメラの前であやまり、いくらか時間をおいて退学処分を発表する、というふうに〈社会〉から強制された処分になったりはしますが。
 つまり、いまや学校の方が「寛容」(→ルーマン)なのです。〈社会〉はかつての管理教育華やかなころの学校教員よろしく、社会の成員を管理統制する義務があるかのように、厳しく取り締まっています。もしかしたら、かつての管理教育の成果? 管理教育で飼いならされた優等生たちが社会の中心で、学校で身につけたことを実践している、ということなのかもしれません。
 定時制の現場で、このごろ微妙な変化が気になります。少し前であれば、退学することには生徒も親もこだわりがあって、なんとか卒業したいと考えて、出席できないのに在籍をつづける、ということがありました。「高校だけは卒業したい」というわけです。ところが、このごろは入学しても、はじめから登校しない。不登校の場合もありますが、別にそういうことではない。いってみればアリバイ在籍。やめる生徒も、やめることに以前のようなこだわりがない。スーとやめてしまう。学校に来ていても、学校で友だちと話したり、クラブ活動が目的で、あまり授業には出ないで、何回も留年するがあまり意に介さない。ぶらぶらしているわけではなくて、仕事は熱心にやっている。卒業間近になった生徒がなんとなく不安定な精神状況になる。卒業してしまったら「高校生」ではなくなることに不安を感じている。
 〈社会〉の厳しさからの逃避の場所として、制度としての学校ではなく、社会としての〈学校〉が、ひそかな需要をはらんできたのではないか、とさえ思えるのです。一時、レジャーランド化する大学、などという報道がありました。「学問の場」であるべき大学がなんたること! という論調ですが、そういうふうに非難する〈社会〉は「学校」体現者で、非難される大学は実は、その〈社会〉よりももっと社会らしい社会を提供しているのではないでしょうか。人間関係が制度によってがんじがらめにはなっていない、自分たちの行為によって集団が作られ、そこに自分の場所をつくれる、フレキシブルなまとまりとしての社会をそこに感じられるのが〈学校〉なのです。学校化した社会からの避難民があつまるところ、いってみればアジールとして学校は、再定義される必要があるのではないでしょうか。学校化社会からの解放の場としての機能を、「古き良き時代の学校」から、現行の学校でさえ継承しているのではないでしょうか。
 いわゆる教育改革はこうした「社会としての学校」=〈学校〉を「改革」し、〈社会〉と同じように「学校」にしてしまおうというものではないでしょうか。
 光島さんが指摘されている、規律訓練の学校と重なって、「社会としての学校」というのも学校の伝統の中に確実に存在したのに、これには光を当てられることがなく、学校という近代の制度の機能を体現した規律訓練ばかりに私たちも目がいっていたのではないでしょうか。とりわけ管理主義教育が批判の対象になった時代に、学校批判はここに集中しました。
 1月の合評会で、「交差点で人々がぶつかりあうこともなく通行しているのは、物理的心理的コミュニケーションをとおして〈共〉がそこに成立していることなのだ」と私が書いたことにたいして、それは「道路交通法」を守っているということだ、と批判されましたが、それは規律訓練の学校に「社会としての学校」を解消して理解することと同じです。法制的制度的枠は当然あるわけですが、そうした枠に重なって/にもかかわらず、自生ともいえる関係が如何にして存在し、変容し、蓄積してきているのか、そこに注目しなければならないと考えます。
 ネグリ・ハートにならって言えば、学校がいまや「教育改革」という嵐に見舞われている今こそ、解放区としての学校の可能性を私たちは見ていかなければならない、ということになります。手短に言えば、〈社会〉の学校化を批判しよう! 〈学校〉の擁護を! ということになります。

(4)学校の社会化と再学校化

 『学校のことば 教師のことば」からはじまって、『学校の境界』にいたるこの研究会の研究には大前提があったようです。抑圧装置としての学校を批判することと、そうした学校の日常にたいする微細な分析をとおしての解放への萌芽をさぐる作業が研究会のメインだったでしょうが、ここには現存の学校が学校的である、という大前提があります。ですから私なども「脱学校論」に注目したりしてきました。四方さんは『学校のモノ語り』を次のように位置づけていました。

〈脱学校化への通路は、何も学校制度の全廃という正面突破戦略にあるのではありません。そういうオールオアナッシング的発想ではなく、学校の日常のなかにこそ、脱学校化への通路が潜んでいる、こういった可能性を「希望」を捨てずに、しかし暑苦しくなく、淡々と記述する試みが『学校のモノ語り』であったと、わたしはとらえています。〉(『学校のモノと境界』180頁)

 仮に、現行の学校はすでにしてここで私たちが俎上に載せようとしている「学校」ではないのだとしたらどうなるでしょうか。『学校のモノ語り』のとりわけ「短文」をその仮定から読み直してみると、じつは目の前に展開している学校は、すでに私たちが批判の対象として据えようとしている学校とは別物なのだということを明かしていないでしょうか。徳岡さんの執筆になる「ノート」の全文を引用してみましょう。

〈生徒はノートを録ることをやめない。板書された事がら。それは生徒の注意を喚起し学習へ誘うためになされた、そんなたわいないことなのかもしれない。あるいは教師は動きを、ひと繋がりの流れそれ自体を黒板に「書くという行為」で示そうとしているのかもしれない。結果として残された、つまり空間的に示された「図」はその痕跡であって、もはや意味を失っている。にもかかわらず、生徒はそこに意味ある「チャート」を見出しノートに録ろうとする。さらにまた教師はあくまで知識に対する「学習者」の構えを反省的に問題にしようとしているのかもしれない。そのときでさえ生徒は手に取ることのできる「モノ」のようにそれを「知識」に変換し、ノートに書き込もうとする。教師もまた、伝えたい意味を裏切ることを承知で書き続けている。そして、生徒の「それ、どこに書けばいいんですか」という声。
 だが、これは生徒が未熟だからでも、教師の技術が稚拙だからでもない。これは既にノートに宿命づけられた事態なのだ。ノート(「書かれたこと」と「書き留めること」)は学校空間における「貨幣」である。貨幣があらゆる人間活動を単純な記号に化したように、ノートは思考や意味を文字(記号)に置き換える。また、貨幣がさまざまな社会関係の複雑さを縮減したように、ノートもまた縮減する。その作用は、記憶の負担を軽減することであると同時に、思考の重層的な諸次元を単純化してしまうことでもある。このように教室の中では、あらゆる営みはノートの上に「知識」として空間化=固定化される。知の有用性と躍動性は具体的な場面での実際の使用にあるにも関わらず、知の営みは「知識」の減衰の恐れからノートの上に変形され蓄積されていく。「将来への安心」と引き替えに「いま、ここで」の使用(思考すること)は断念されなければならない。ここには貨幣の貯蔵手段と同様の事態が見られるだろう。そして「授業への参加」=「ノートを録ること」という錯認もここから生まれる。それは貨幣そのものに価値が宿っているとみなす「貨幣の物神性」と同根である。ノートのフェティシズムとは、「書き留める」という行為が意味連関を失って自律運動を開始し、「書かれたもの」を無限に産み出し続けることだ。美しく色づけられたノートにほくそ笑む生徒は、貨幣の退蔵を自己目的とする蓄財家の姿とどこか重なっていないだろうか。
 「ノートは貨幣である」とは、もはや比喩ではない。貨幣が資本に転化し、貨幣自体が商品となるように、ノートも売買される。学期末、大学の前店で各種「講義ノート」が高値で売りさばかれるのは、出席できないほど「お忙しい」学生の存在ゆえであり、この力は教室内で生成した知の閉鎖性を突破していくのだ。また「ノート点検」とは、教師の授業成立のための常套手段であると同時に、生徒の「授業参加」のアリバイ証明でもある。投下された労働時間(量)が商品価値(貨幣量)を決するように、ノートは学校時間に身を預けたことを証し、その価値は時間量に相関する。だが「先生、それコピーして配って」とノートを録らない横着な生徒さんは、ノートのフェティシズムから既に自由なのかもしれない。〉(『学校のモノ語り』46頁)

 思考のための一つの手段としてあるはずのノート作業が、コピー作業に置き換えられている現実が描かれています。それが「学び」の証拠能力を身につけるまでに、いわば準制度的「達成」の域にまで到達しているのです。これはイリイチの言う「脱学校」とは反対方向に「脱学校」を実現していることではないのでしょうか。このようにして「脱学校化」した学校を、学校的規範で統治する意志を持ち始めた政治・社会が、「再学校化」を狙っているのが、今日の「教育改革」であると言えないでしょうか。
 もっとも、すべての学校が、逆方向の「脱学校化」を実現しているのではないし、「学校」的学校のイメージを生きている生徒たち、学生たち、もちろん大多数の教員がいることは事実でしょう。しかし、潜勢力として学校を見れば、そこにはかつての近代学校システムとしての学校は背景に後退し、逆向きに実現しつつある「脱学校」がそこには見え隠れしていないでしょうか。これはある意味で「戦後民主教育」の意図せざる到達点かもしれません。多くの子どもが学校に行きたがり、少なくともイメージとしてそこは解放の場、ひらたくいえば「友だち100人つくれる」ところとして期待される所となってきていたのでした。これは社会が社会として機能してきた時代のなかで、戦後民主教育とその後継としての「同和教育」の遺産の一つとして、正当に評価されるべきでしょうが、この典型としての「学校」がいつのまにか学校ではなくなり、学校化した社会のなかのいわば「デン」と化してきたのは、どのような機制や歴史的条件によってなのか。また、このこと自体が気付かれにくい思想的機制や思想的習慣がどのように配置されているからなのか。
 私たちは逆向きとはいえ、実現されつつある「脱学校」の学校、いいかえれば社会化されつつある学校の「社会化」の方向を描き、社会化する学校を「再学校化」しようと企てる教育改革を批判できる地点に立つ必要があるのではないでしょうか。

(5)もはや「学校のモノ」は存在しない
 『学校のモノ語り』を大学のテキストに使ってのレポートを中島さんが『学校のモノと境界』に「学校のモノにこだわること」と題して書いています。そのなかで大学生が、なぜ学校のモノが問題なのか納得がいかない、わざわざ問題として「筆記具」やら「給食」をとりあげる意義が理解できない、という反応を報告していました。
 大学生たちはすっかり「学校文化」になじんだから大学にまできているのだ、だから学校に問題など感じていないのだ、と一蹴してもいいのですが、これはこの研究会のスタンスの基本の所にかかわってくる大問題だと言えないこともないのではないでしょうか。問題点を指摘する、それも原理的なというか、本質的な議論でそれを明確にする、という姿勢はよいとしても、いまの学校や社会に、感情的にも現実的にも思想的にも自分をフィットさせて生きてきた人たちには、上記のような議論の立て方では話が通じないのではないか、という疑問があります。これは「布教」の仕方が拙劣だとか、「芸」がない、ということだけではなくて、私たちが立ってきた共通の認識(雰囲気でもいいですが)それ自体に、かなり大きな錯誤がなかったかどうか、ということを一度考えてみる必要があるように思います。
 本多秀博氏が『学校のモノ語り』を大きな視野から批評してくれた文章が『学校のモノと境界』に「現代思想から読む」と題してのっています。ここで本多秀博氏は「モノ」で学校のアクチュアリティを描くことができるのか? という根本的な疑問を提示しています。

〈モノを考えるとき、モノを支えるコト的世界を視野に入れることが、本来的に必要ではないのか。モノをそれ自体で完結させる時、モノ的世界は、不完全にしかとらえられないのではないか。これが私の一つの問題提起です。結局、コトにおいて、私たちは「私がある」という実感として自己を自覚し、机は「机がある」という実感として、十全な意味で「机というモノ」として実現される。机が単なる物理的存在から脱して「机というモノ」になるためには、コトがコトとして働いていなくてはならない。コトがモノをモノたらしめてる基盤なのである。ここが大切だと思う。〉(100頁)

 もっと端的には本多秀博氏はこうも指摘していました。

〈「学校のモノ語り」の狙う、学校のモノのリアリティを描くことは、モノと生徒との関わりのアクチュアリティと関係があるのではないか。モノのリアリティを目指すのではなく、生徒たちが、モノとのアクテュアルな関わりをすることを描くことにポイントが、あったのではないのか。そう思われる。リアリティは、客観的にモノを見る視点であり、アクチュアリティは、他と交換出来ない自分の「いま」から関わっているモノを実感するという姿勢である。ベンヤミンが歴史の表面で勝者のごとく勝ち誇っている事実(例えば、英雄、大事件、社会構造等)の中に「歴史の本質」を見るのでなく、常識的市民の眼から見ると「ボロ」や「クズ」に見えるものの中から「根源の歴史」の痕跡を見いだしたように、学校という場で、生徒たちのモノとのアクチュアルな関わりにこそ、ポイントを置かねばならなかったのではないのかと思う。〉(104頁)

 学校のモノを焦点化して論じようとするとき、私たちはモノに学校の問題性が凝縮して表現されているのではないのか、という前提に立ったことを意味します。しかし、私たちは学校の問題性意識をもっているから「学校のモノ」が問題的な「モノ」として見えてしまうのではないのか。少なくともそのことを自覚することが少なかったために、「なぜ、そんなモノが問題なのか?」という反応に、この本自体が応答していなかったのだろうと思います。もちろん、学校のアクチュアルな描きは「教育実践報告」で十分に描かれてきた、と言えないことはありません。多くの教員はそうした描きこそが、学校をとらえることだと思っても来ました。あるいは今日では、学校という制度をどのように「いじるか」、そのために学校という場の問題性をどう把握するかに関心を集中させます。
 本多秀博氏が指摘している、アクチュアリティのある学校の描きはそういうことではありません。「制度」や「実践」ではなくて、なにげない学校の日常の中にこそ「学校」をとらえることのできるキーがあるのだ、という点で私たちの認識と共通しています。そのとき学校の「コト」への注目の不足が「モノ」と生徒たちとのアクチュアルな関わりを描ききれなかった原因ではないか、という指摘です。こうした視点にまるで気がついていなかったわけではないことは、例えば椎口さんが『学校のモノ語り』に「制服の行方」という文章をかいて、結論部分で次のように言っていることからわかります。

〈教育の問題とされたモノでも、制度的でないモノは速やかに登場しさっさと退場していく。例えば、ナイフで鉛筆を削れない子どもがいるということが問題にされたことがあったが、いつの間にか消えた。テレビがいかに子どもの成長にマイナスの効果をもつかということも以前言われていたが、最近は聞かない。OHP(オーバーヘッドプロジェクター。光学的に図形や文字を拡大しスクリーンに投影する装置)は画期的な意味をもった教育機器であったが、今はあちこちで埃を被ったままである。しかし教師や学校は、制度と一体化しているモノについては必要以上に現状維持をはかろうとする。制服はその典型である。
 だが制度的なモノも、モノ自体の形態や機能や他のモノとの関連の中でじわじわとそのモノについている制度を変容させていく。言いかえれば、教育が定義する力の衰退はモノを通して教育の外部からやってくるのである。教育からはみ出るモノの性質であり、関連するモノの連鎖であり、モノの社会的評価であり、市場の原理である。モノのダイナミズムを止めることはできない。
 かつて制服の一部であった制帽がいつの間にか問題ともされず制服から脱落していったように、制服もやがて静かに消え去っていく運命にあるのかもしれない。〉(104-105頁)

 「制服はもはや問題を構成しない」というわけです。つまりこれまで「学校の匂い」が染みついてきた「学校的なモノ」が学校の匂いを失ってきているという事態です。私も『学校のモノ語り』のなかの一文で(「帝国の明日」)で学校のモノの黄昏を論じたのですが、このことは裏返せば、学校のモノを焦点化しても学校の問題性はもはや浮かび上がらないのではないか、ということになります。ここで飛躍してしまうかもしれませんが、かつての「学校」はもはや「学校」ではなくなり「社会」そのものになったのではないか、極論すれば「学校」を昔の「学校」として構成しているのは「学校化社会」の我々の視線なのではないのか、という私の仮説がでてくるわけです。

(6)ネット社会の学校化
 このメーリングリストは、いわゆる自宅サーバーから発信してきました。ところが、「迷惑メール」対策とかで、どこのインターネットプロバイダー(ISP)もメール送信に規制をかけてきていて、nanbook.netもそれに2月から引っかかりそうなのです。

 どういうことなのか、解説を上手にできないので引用で説明します。
〈Outbound Port 25 Blocking (OP25B): 迷惑メール (spam) 対策と称して、主に動的に割り当てられる IP アドレス (ADSL やダイアルアップ接続などにより割り当てられる) から外部に出て行く SMTP メール接続が ISP により禁止されています。この場合 melon (や類似ソフト、つまり自宅メールサーバ) による送信は一切できません。ISP のメールサーバだけが使用可能になっているはずなのでそちらを経由してメール送信する必要があります。 この場合、spam 検査等と称して、その ISP で送信したメールを複製保存されたり、従業員にメールを覗かれる可能性があります。
 Inbound Port 25 Blocking (IP25B): 他社の動的 IP アドレス (主に ADSL やダイアルアップ接続などにより割り当てられる) から ISP のメールサーバへの接続を全て拒絶します。それらの IP アドレスを記したデータベースを、この会社では DUL (Dynamic User List) と呼称し、DUL ではメールサーバが稼動すべきではないと一方的に決め付けています。受け取り側のメールサーバで、このリストを参照している場合、動的に割り当てられる IP アドレスからのメールは拒絶されることになります。この場合その IP アドレスからの melon (や類似ソフト、つまり自宅メールサーバ) による送信は一切できません。DUL に載っていない IP アドレスからメールを出す必要があります。アメリカの一部のサーバで採用されていることがありますが、なんと日本でも採用するところが出てきました。
 これらの制限は、個人毎ではなく利用者全体に対して行われます。
ISP が勝手に規制するのだから、その ISP 利用者に、制限を回避するための固定 IP アドレスを無料で利用できるようにすべきだと思うのですが、どうでしょう。今後 ISP は、適当な理由をつけ何らかの規制を行い、それを回避するために金銭を要求するといった規制ビジネスをするつもりなのでしょうか?(http://seclan.dll.jp/ccblk25.htm)〉

 要するに、すべてのメールをISPの送信serverをくぐらせることで中身をチェックできるようにするわけです。これはアメリカのエシュロン(http://ja.wikipedia.org/wiki/エシュロン)のようなシステムがなくても安易にメールをチェックできる体制です。「テロ対策」の一貫ともいえそうです。
 nanbook.netから送信しているこのMLやメルマガ直接配信先の皆さんの受信ボックスまで行っているのですが、これからは25番ポートの代換えとしての587番ポートもふくめてISPのをsmtp通さないと送信できなくなるのです。
 リゾーム状に増殖してきたネットをツリー状に整形することによって統制するわけです。このとき多くの人が迷惑している「迷惑メール」の防止のためというきわめて「公正」的な大義名分を掲げているところが「学校」的でしょう。私に言わせれば、社会が「学校」にすっかりなってしまった証拠なのです。現実の学校の方は、さまざまな生徒や先生のリゾーム状の関係性からなるセミラティス構造がいきています。ネット社会もいまやツリー状に学校化されようとしているのでしょうか。
 さて、そんな感想をかいている暇があったら、このMLを潰さないための対策をねらなければなりません。といっても、この対策はISPのsmtpサーバーにいかにメールをリレーさせるかの技術的なことでしかありませんから(もっともちゃんと勉強した人は別の方法があるのでしょうが)25番ポートブロック政策の中に入ってしまうことなのですが。
 それでもとにかくこの続きが送信できるようにはしたいと思っています。

(7)学校に贈る「別れのことば」を 
 教室に入れない生徒がいます。不登校ではなく学校に来るには来ても、教室の中の知っている友人、話のできる限られた友人のところを渡り歩いて学校で時間をすごそうとしますが、クラス替えとか、選択の授業で教室が替って、気の合わない人が近くにいると、もう教室に入れない。こういう子は、たとえば電車に乗るのが苦手だったりします。知らない人が近くにいることが耐えられないのです。ですから自転車などをつかい、できるだけ電車には乗らないようにします。
 このことと矛盾するかもしれませんが、知らない人にも積極的に話しかける努力をする「教室に入れない生徒」もいます。異様なスタイルで目立つ格好でも電車に乗ります。でも、この子は前者と同じように教室の中に落ち着くことができない生徒でもあります。
 このようなことを心理学者や精神分析家あるいは精神科医は、その人自身の人格の特性に原因をもとめて、その人を治療しようとしたり、ケアしようとします。社会のありようを捨象して、「人間」を実体化し、その「こころの闇」を探ろうとするマスコミなどもそうですが、これらは社会というものがコミュニケーションンという出来事の不断の継続として創出されているのであって、「心」や「人格」の交流とか葛藤などで社会が構成されるのではない、ということが基本的にわかっていない近代の誤解からきます。
 生徒たちの会話に耳を傾けてみましょう。彼・彼女らにとって、誰かが発したことばに、即座に何かの反応(ことばでも動作でも態度でも表情でも)を返すことが重要なのです。このとき何のリアクションも返せない場合、彼・彼女たちは友人関係が壊れたように思ったり、「この人とは気が合わない」と思ったり、「何よ、変な人」と思われたりすると考えます。そのリアクションも、その場の雰囲気を「盛り上げる」ものでなくてはならず、見当外れな反応は禁物です。ですから、不特定多数が集う学校は、実は緊張を強いられる出来事(コト)の連続の場でもあるのですが、そのゆえにこそ、そこは「社会」が立ち上がってくる場所なのだともいえるのです。
 ところが、会社などの既成の組織には、そこでの「ふるまいかた」のルールが確立しています。ですから、上記の教室に入れない子どもでも、アルバイトなどはちゃんとこなせる子もいます。接客とか製造とか、目的のハッキリした組織では、おのずと人間関係をしきる構造が明確になっています。そこでは構造がコミュニケーションを規制し、「社会」を作りますが、明確な構造がないところ(現在の学校という場など)では、コミュニケーションという出来事から社会が創出されたり、解体したりします。学校というところは、従来「制度」という構造的な枠がしっかりあって、そこでのルールが学校を枠づけていると考えられてきました。そういう意味で会社などと同じなのだとイメージされてきたでしょう。でも、そういう暗黙の前提が、実はもう違っているのではなのか、という想定をしてみる必要がありそうです。
 マスコミが不断に垂れ流す社会イメージは、かつての確固とした「学校」イメージに近いのではないでしょうか。でも制度が認定する現実の学校は、そういう伝統的な「学校」イメージでは「なんとかやっていく」ことのできないアノミーをはらんでいるのではないでしょうか。いってみれば電車の中とか、交差点とかの不特定多数の複雑性を、〈学校〉は孕んできていないでしょうか。おなじことは「家族」という伝統的な共同性についてもいえるでしょうが、学校は確固とした構造が人間を産出し、社会に送り出すとイメージされてきただけに、あまりにもそういうものとは違った所で作動しているようになったので、今の学校が実はもはや「学校」という機能をになう組織から脱出して、社会そのものになってしまっていることが見えにくいだけではないのでしょうか。かえって学校をとりまくとされる「社会」のほうが、構造として固定化し、学校的になっているのではないのか。学校化した社会は、かつて管理主義教育で問題を指定された学校のように、コミュニケーションがコミュニケーションを産出し「社会」を構成するという社会化機能を失ってしまっているのではないのか。
 そうだとすれば、学校の現在は、社会よりも、よりいっそう現在のリアルな姿を現す場になっていないでしょうか。もっといえば「可能性」は学校のほうにより多くありはしないでしょうか。
 これは、反省というか、自己批判として言うしかないけれども、学校に対する批判的スタンスは、ある時期まで有効であったし、そのことが学校での実践の原動力になりえていた時期が確実にあったでしょうが、ある時から学校に対する批判は、学校のいわば「脱学校化」で無効になってしまっていたのではないでしょうか。『学校のモノ語り』は、情勢認識判断を誤ったのではないか、と考えるのは考えすぎでしょうか。その時期の気分に反して、私たちはその先を見通し、〈学校〉の擁護のほうに反転しなければならなかったのではないでしょうか。
 退職を目の前にしてこんなことを言うのは複雑な気分なのですが、学校化した社会や政治に追いつめられて、「やる気をなくしてしまった」老教員として学校を去るのではなく、学校の「可能性の中心」がどこにあるのかを、これまでの経験を総動員して「理論的に」(実践的にはもう遅いですが)明確にすることが「学校」に贈る「別れのことば」でなければならないように思います。

(8)テレビ社会は「学校」社会
 人から聞いた話ですが、テレビ番組の企画製作者が、このごろはイタズラ的に番組を作れない、そんなことをすると、あちこちから「正しい」抗議がきたりするので、冗談を言うにも断り書きが必要になって、作っていてもつまらないとぼやいていた、と。(注:反差別運動とそれへの批判としてのPCが、「正しい」社会の基盤を作った?)
 例の「あるある大辞典」での納豆さわぎにしても、テレビのその手の番組を「信じて」納豆をいっせいに買いに行く視聴者のほうこそおかしいのではないでしょうか。テレビ番組が、それも娯楽番組が(昔の)学校の授業のような「信頼」を獲得しているのです。こうなると番組製作者は(昔の)学校の先生よろしく背広にネクタイで「真理」だけを語らなければならないはめになりましょう。
 2月8日(木)の朝日新聞の1面の記事には、TBSのバラエティー番組「人間! これでいいのだ」で、高周波の「ハイパーソニック音」を、「頭の良くなる音」と断定した表現に行き過ぎがあったなどと謝罪した、という記事が載っていました。新聞記事の問題の取り上げ方は、もちろん「うそ」つきの報道を非難するものです。しかし問題はもっと別のところにあるでしょう。そういう番組を見ている視聴者が、それを真実だと信じてしまうこと、香具師の口上みたいなものだと笑ってみられなくなったことが問題なのではないでしょうか。しかし、こうしたことを取り上げる「社会」「マスコミ」は、そういう視点ではなく、たとえバラエティー番組であっても学術研究の真理をふまえてつくるべきだ、というスタンスです。マスコミは自分で自分を「ガッコノセンセ」化することで自分を追いつめています。
 これを社会の、マスコミ社会の学校化といわずしてなんと形容できましょう。
 これと対照的に、学校の方では、生徒たちは先生の授業をその中身を現実の「真理」としてではなく「テストにでる真理」として、つまりフィクションのなかの真理として、いってみれば授業で「教えられたこと」と距離をおきながら受け取っていましょう。学校で体験される現実感のある「真理」は対面関係のなかで感得される経験のほうです。ですから教員志望の学生たちで、その志望動機「クラブ活動」と答える学生がたいへん多いという中島さんの話は、学校の「授業」が、香具師の口上のほうに近くなっている、つまり授業内容の「真理性」ではなく、語る教員と生徒たちのつくる「社会」になっている、ということではないでしょうか。
 これを学校の「社会」化といわずしてなんと形容しましょう。
 ますます息苦しくなる社会のなかで、いまや学校こそが冗談も言える「社会」の役割を担うしかない状況になってきていないでしょうか。
 前にもちょっと触れましたが、学校化した社会を直接に担い、生み出しているのは「学校の優等生」かもしれません。中島さんが『学校のモノと境界』で『学校のモノ語り』の短文「給食」を大学生に読んでもらったその「感想」をのせています。たとえばこんな風に。

〈・本書の意見は納得できない。わたしが給食を好きだったからかも知れないが、食のかたより、好き嫌いは本当によくない。体調や髪にまで影響する。まだまだ成長過程の小学生に好き嫌いはだめだということを教え、栄養のバランスも考えられた給食はとてもよいと思う。全校生徒が一斉に同じ昼食をとるのは何も奇怪ではないと思う。
・(カフェテリア形式について)小学生低学年の子にお金を持たせて、みずから食堂に行き、いろんな学年の生徒がいるなかで、お金を払って時間内に昼食を食べるというのは無理ではないだろうか。
・(食の決定は家庭に任せるべきという点について)いまは親が忙しい家庭も多く、毎日毎日子どもの昼食を考えたりつくったりできないし、まして小学低学年や中学年は好き嫌いも多く、カフェテリア形式の昼食の提供という形になれば、偏った食事をとるのが普通になってしまうと思います。
・学校給食を否定しすぎている文章だ。筆者は「学校給食=画一化」と述べている(わたしはそうは書いていません)が、はやり「食」に関する好き嫌いの価値を一般化するとかしないとかではなく、食の好き嫌いは、栄養面からも考えてつくらせないようにするのがいいのではないでしょうか。わたしは学校給食を画一化という表現でまとめるのはズレているとしか思えない。〉

 社会は、学校で教えられたように、あるいは学校で訓練された感覚・言説にそって機能するべきだ、というふうに考えている「優等生」が確実に存在します。では、学校という場所が、その「優等生」がここで述べているような原理でのみ機能しているかというと、実はそうではなくて、対面的状況のなかで、そうした学校的規範は作動しているので、社会のように対面的状況を媒介しなくても規範が機能しているのではないのです。この違いを無視して、学校の延長を社会としてイメージし、そこから過去の学校経験を規範の集合として考えますから、具体的な人間の顔がぬけてゆきます。中島さんが「肯定的な意見」として紹介している次の学生の見方には具体的な顔が登場しています。

〈・わたしが小学一年生の時、クラスに一人どうしても牛乳を飲めない子がいて、担任の先生は、その子にコップを用意させ、「今日はここまで飲もう」と決めて、コップにマジックで線を書き、飲んでは喜び励ましていた。でも、その子が牛乳を飲むとき、いつも泣いていた。確かに今になって思えば、「好き嫌いはよくないから直そう」とする価値を、学校が一般化するのはそんなにいいことではないと思う。それこそ家庭に任せるべきだと思う。同じ献立を一様に食べさせる学校給食に、わたしもこの本文を読んで意味がないのではとやっぱり思った。ただ、視点を変えてみると、その過程に意味があると思う。給食当番が決められ、クラスの友達によそう。そして、給食当番の友達の分も自然と誰かが配り、食べるときには作ってくれた人に感謝して「いただきます」を言い、後片づけはみんなで協力してする。そしてクラスのなかで給食の時間は、周りの人と話すなごみの時間でもある。これは学食などにしてしまったら経験できないことだし、一緒に食べる友達も決まってしまうし、孤立してしまう子もいるかも知れない。だから、小学校くらいは、学校給食はなくならないで欲しい。確かに好き嫌いのある子もいるし、食べきれない子もいるだろうが、それをどうこう指導するような雰囲気にするのではなく、そこでしか経験できなたくさんの経験をしてもらうような学校給食つくりが大切だと、わたしは思う。〉

 これは「学校」を規範の集合としての集団ではなく、具体的な社会経験の場としてとらえようという意見です。たとえば給食費を払っているのだから「ごちそうさま」と言わなくてもよい、という保護者は規範で(逆規範かもしれませんが)学校を見ているのです。
 いまや、〈社会〉は学校を、今の社会自身がそうであるように、人の顔が見えない機能や規範の集合体としての「学校」に作り替えようとしています。
 賞味期限は、おいしくたべるにはその期間内でたべてね、という意味でした。しかし今や賞味期限が切れた食品をテーブルに出すことは犯罪になってしまいました。はじめは、卒業式や入学式には、日の丸をできたら掲げてね、だったのが、掲げないのは犯罪だ、というふうになってきました。管理主義教育は、いまや〈社会〉のなかで作動しています。

(9)〈社会〉の「学校」は、別様の学校だ
 給食についての「優等生」の意見を一瞥したときに感じたのは、自分が学校で給食の係になったら、この優等生たちと同じ根拠をあげて給食を擁護するだろうな、ということでした。現に存在しているシステムのなかでは、それを維持しつづけるように、そのシステムの構成員は行動や思考のルートを指定されてきます。これはその個人の思考だというわけでは必ずしもなくて、同じ場所で、他者と関係しながら行動していると、それに波長を合わせないと仕事にならない、ということもあります。たとえ自分は「給食」に反対だとしても、場・状況のなかで仕事=行動をしているうちに、そうした行動を意味づけている一定の既成思考を正当化していきます。システムの意味はいくらでも異なる意味で理解できるのですが、よく知られた意味=イデオロギーで自分の行為を意味付けてしまいます。
 管理主義教育に反対していても、生徒指導部長などをやっていると、「管理」の意味を自分の仕事に合わせて調整していくのはごく自然のありようです。
 なにが問題なのかといえば、システムの内部で行為していると、そのシステムを別の観点から別の意味として観察できなくなったり、観察が困難になるということです。現在の学校システムは、脱学校が必要なシステムであるというふうに見ていると、学校はすでにして脱学校化しており、社会の方が学校的になってきているということが見えなくなるのです。「給食」を長年経験してきていると、「給食」制度の「正しい」意味の外にでられなくなります。なんで「給食」が「問題」なのかさっぱりわからない、となります。
 さて、学校の社会化、社会の学校化という「逆ディスクーリング社会」への転回を確認するにはどのような作業が必要でしょうか。そうした断定の証拠集めとともに、そのような移行が、いかにして、いつ、どのような要因によって構成されてきたのかを「歴史」的に振り返ってみなければならないだろうと思います。
 たとえば、給食を例にとって歴史的考察が可能かもしれません。先の「優等生」の給食観に逆らって、学校給食は、その学校給食的ありようをしだいに自己解体してきているのではないでしょうか。中島さんが『学校のモノ語り』で記述した「給食」という文章は、学校給食がその学校性をうすめて、社会化するながれのなかにあるように読むことはできないでしょうか。ここは錯綜するのでしょうが、その一方で「食育」ということが叫ばれる背景には、「学校給食」が脱中心化されるなかで、食事という生き物にとっての基本的行動が「家族」も「社会」も構成しない「孤食」を誘発してきたことに危機を感じて、〈社会〉は、学校に「食育」という形で「再学校化」を要求してきてもいる、と一応かんがえられましょうが、「食育基本法」による食育推進の行政官庁は農林水産省であって、文部科学省ではありません。そこが「食育白書」をだしています。
(http://www8.cao.go.jp/syokuiku/whitepaper/index.html)
 この中には「地場産物の活用を進めるなどの学校給食の充実」「米飯給食の普及・定着」などという項目はありますが、学校教育は「食育」を担う部分でしかありません。「食育」を国民運動として位置づけるのです。
(http://www8.cao.go.jp/syokuiku/whitepaper/2006/digest/html/06ss0101.html)
 ここでも明らかなように、文部科学省ではなく農林水産省が唱える「国民運動」という位置づけは、国家自体が「学校」としてふるまうという姿が歴然としていましょう。「学校給食」は国家社会という教育者にとっては、ほんの一分野、さらに一層「学校化」すべき一分野にすぎないのです。国家社会が自己を「学校」に変身させるといっても、その「学校」は、現在の「教育改革」がイメージしている学校であって、昔から作動している制度とはずれる日常の出来事としての学校ではありません。もはや「学校的」は、現実の学校からイメージするのではその内実をとらえられないのではないでしょうか。〈社会〉の「学校」は、別様の学校なのです。たとえて言えば、現実の学校は「郷土」であり、〈社会〉の体現する学校は「愛国」の対象としての「国」なのです。逆ディスクーリング社会とは、学校化社会とは別様の学校社会でもあるわけですから、この〈国家社会〉が推し進めるディスクーリングとは、新たな「学校」を、伝統的な学校にさからって、それにとってかえる「近代」への反革命としての学校革命なのです。そこから振り返ってみたとき、戦後民主養育や解放教育の革命的「近代」性が、これまでとは違った形で見えてくるかもしれません。解放教育運動の中で、福地幸造が、現実の学校=社会に、思想的武器の携帯を放棄するという意味で「てぶら」の実践を標榜したとき、福地は学校が社会そのものである自覚を持っていただろうし、そうだとすると、学校を伝統的な教育学の理論や実践でとらえきれるとは思っていなかったでしょう。学校の社会化は、福地において先取りされていたのではないか。

(10)「状況は未来の先取りによってしか超越することができない」

 この「逆ディスクーリング社会」をファシズムの形態として把握できるのではないか、という想定は成り立つかもしれませんが、それは一応保留にしておきます。なぜなら、ファシズムという歴史的概念をつかうと、もしかしたら新しい状況の出現をそれによって把握し損なうかもしれないからです。(もっとも、そこまで考える準備もないからでもありますが)
 さきに引用したTBSの「頭の良くなる音」問題は、外部からの指摘というより、指摘される前に謝罪しておいたほうがいい、という判断ですね。つまり世間の「期待」に準拠させて自分のとこの報道システムを自己修正しているわけです。
 こういうことは、たとえば現在の学校でも、盛んにおきています。定時制高校の現実の需要や実態を踏まえるのではなく「市民」「府民」の「期待」を忖度して、教育委員会は土曜日の授業や0時間目を定時制高校に設定させたり、単位制にしたりしています。「教育改革」期待への対応をしているわけです。現実には定時制高校にきている子どもたちで、0時間目や土曜日に学校に来ることができる子はごく少数にすぎません。
 社会のあり方、学校のあり方は、制度によって構造的に固定されているのではなく、学校とか社会というシステムの外と内を区切る境界線は状況の中で形成されます。ルーマンはこの境界線を引く力を「期待」にもとめています。私たちが社会そのものが学校化している、というとき、それは社会に対する「期待」が、かつて学校に向かっていたものと同一の「期待」であるとき、社会は学校化するというふうにとらえられましょう。同じように学校への「期待」がかつて社会や家庭に向かっていたものであるとき、学校は「社会化」するし「家庭化」するのだ、という理屈になります。

〈社会システムは状況を越えて拡がり、かつ、システム境界を定義するシステム構造を、システムに属する行動にたいする期待の一般化で獲得している。その場合、一般化とは本質的には、差異にたいする無害な無関心、単純化、その限りでは複雑性の縮減を意味している。ところで、行動期待の一般化で多様な社会行動の具体的同調化が容易になる。そのためには、あらかじめ、およそ何が期待できるのか、どんな行動がシステムの境界を破壊するだろうかということについて、類型的に確定していなければならない。システム内で可能なことの、この事前選択は、期待のレベルで成立するのであり、直接的行為のレベルで成立するのではない。その理由は、ただ状況はこのように未来の先取りによってしか超越することができないからである。〉(『法と社会システム』新泉社1983 「社会システム理論としての社会学」P.144)

 学校の教員は、制度的に規定された仕事をしているわけですが、「学校」という境界を確定し、学校システムを現実において定義したり、し直しているのは、教員や学校や委員会が、「期待」を先取りすることに依拠している、ということでしょう。
 そうだとすれば、学校の可能性の中心を私たちが捕まえようとするとき、学校によせられる「期待」、いいかえれば学校にどんな「意味」を見いだすのかをあらかじめ構築する作業を必要としているのではないでしょうか。この「期待」は、よくいわれるところのニーズではないでしょう(教育委員は「期待=ニーズ」です)。ニーズは現在の状況に規定されてますが、いまだ現前していない潜勢力を読み取る作業のなかで「期待」は見えてくるのです。


 

その夢の過去は〈共〉
ネグリ/ハート『マルチチュード』を読む

北爪道夫

2011年: 公園の老人

 2011年のある日、Kは、いつものように老人大学市民講座にでかけて小説を書いていました。講師の先生はいつもノートパソコンをもっています。Kが3枚ほど書きあげると、それを読みながらアドバイスをしてくれます。そして最後に、「ちょっとこの部分は疑問があるので調べてみます」といって、ネットにつながったノートパソコンに、Kが書いた小説の一節を入力しています。「あ、Kさん、ここの所は少し表現を変えないと、著作権に引っ掛かりますよ、変えてください」。おどろいたKは「で、どこの誰がこの文句を著作権登録しているんですか?」。「アメリカの作家です。あなたの一節を英語に翻訳してみたら、すでにこの言い回しは著作権登録ずみでした。ええ、すべての表現は英語になおして著作権登録するんですよ」。Kは小説を書くのはやめようと思いました。
 そういえば、最近町内の盆踊り大会の打ち合わせをしていたら、いつもの盆踊り歌を少し変えてやったらという提案も著作権とかでダメになったな、と思い出しました。デモ行進の大音響音楽パレードも、その音楽の2、3のリズムが、アメリカの何とかさんが作曲した音楽のリズムに似ているからといって、演奏者がデモの途中で著作権法違反の疑いで逮捕されたな。考えてみると、あんなデモはわしらの若い時のデモにくらべたら、ぬるいな、とか思っていたけど、音楽や踊りを道路のまんなかでやるのは、失われた共有空間をみんなで思い出そうじゃないか、共有空間をみんなで作ろうじゃないか、という呼びかけだったのだな、とKは気がつきました。
 作家や作曲家は、著作権を主張するけれど、彼らの作品は、過去のたくさんの作家、作曲家の作品のなかからばかりか、アイディアやひらめきは多くの人たちとの対話、コミュニケーションのなかで生まれてきたはずなのだから、「個人」がその作品を「私有」するというのはおかしな話です。作家や作曲家は、生活のためにその作品を売る必要があるでしょうから、それは保障しないといけないでしょう。ところが著作権の暴走は、過去の作品が未来を縛ってしまう。未来の人は人類の共通の遺産が私的に著作権登録されているため、過去の膨大な堆積の上に、それに抵触しないかたちでしか創作できなくなってしまう。共有空間の私有化の行きつく先は恐ろしい世界になるだろう。そんなふうにKは、公園の芝生に座りながら考えていました。
 と、突然、スプリンクラーがまわりだして芝生に水をまきだしたので、座っていられません。昔は「芝養生中、芝生に入るな」とか書いてあっただけなのになー。これでは芝生に横たわって昼寝というわけにいかないなー。芝生は眺めるだけということなのかなー。公園のような共有空間は、いろいろな人がいろいろな目的で利用できるように使い方は限定されていてはいけないと思うのに、使い方や機能を限定して、そのようにしか使わせないようにするってわけか。野球するなとか、凧揚げするなとか、ペットを散歩させるなとか、遊具は危険だからというので撤去されたけど、いまや芝生は眺めるだけなんだね。芝生には親切なのかな。
 Kは、こうした共有空間の機能の単一化や縮減はいつから始まってきたのだろうかと考えはにめました。子どもの頃は、そこらに野良犬がけっこういて、河原に子どもを産んでいたりしました。犬はつないで飼いましょう、となったので、学校帰りに近所の犬と遊ぶこともなくなりました。学生時代、新宿の広場でフォークゲリラが歌っているので面白そうなので出かけていったら、ちょうどその日に、「広場」は「通路」と書き変えられて、「立ち止まってはいけません、ここは通路です」とお巡りさんがみんなを立ち退かせていましたっけ。あのころは「広場」や「公園」はコモンズだっていたんですね。でも今では「公園」のホームレスも「公共施設」に収容されてコモンズは〈公〉が管理する空間になってしまったのでしょうかね。まあ、もっとも、教員在職中は、子どもたちは〈公〉の「通路」を〈共〉にして、うんこ座りでいつまでもだべっていたりしましたがね。あのころは猫だって、町内のあちこちを歩いていたものです。それが「公園の砂場でうんち、おしっこをするから、猫は家の中で飼いましょう」なんて運動がひろがって、条例で猫を放し飼いにできなくなったので、猫は夜中に集会もできなくなり、子どもたちはそこらの猫をおいかけて遊ぶこともできなくなったなー、とかKは思いめぐらします。Kが公園の一人座り用に区画されたベンチにすわっていると、何年も前の新聞や雑誌を集めて売っているホームレスの古新聞屋さんがきたので、「5年もの」の古新聞を買ってみました。
 2006年10月13日の朝日新聞の夕刊ね、文化欄かい、これは。「"児遊"空間息づく韓国」木村幹さん、知らないね。ほー、韓国では子どもが友達の家に「あ・そ・ぼ」と毎朝誘いに来るのか、懐かしいね、わしの子どもの頃もそうだったよ。でも日曜日なのにこの公園には遊んでいる子どももいないよ。韓国の5年前の公園のように老人たちが輪になって雑談というのはあまり日本では見かけなかったな。ほー、韓国の老人たちは、遊んでいる子どもたちが度の過ぎた悪さをしたりすると注意する、時にはその親にも注意する。「おせっかい空間」か。韓国はむかしからみんな「近い」関係が好きだからなー。顔見知り関係が生きているんだろうな。こういう「近さ」のコミュニケーションがコモンズを土台にした産業社会を築いたのかなー。〈公〉と〈私〉が占領する日本やアメリカと、コモンズの伝統を生かしつづけた韓国などのアジア諸国の現在が、産業社会を2つの様態に分岐させてきたのかもしれないな。そういえば、子どもがヴェトナムでとってきた町の写真をみると、道路がすっかり市場になっていたな。、インドではバスは牛に遠慮して走るし、韓国の水原で子どもがとってきた写真には公園で男達が花札やっていたな。日本のこんな小さな公園にも「利用規程」なんかが掲示してあって花札賭博禁止、などと書いてあるしね。同じ産業社会でもコモンズが根を張り続けている社会とコモンズがすべて開発の「資源」と化して〈公〉と〈私〉に占有されてしまう社会とでこんなふうに明確に分岐してしまったんだな。そこまでイリイチも想像していなかっただろうな。
 などと「新発見」をしたような気になったKは、でもそんな老人の思いつきでもブログに書いたら、Google著作権監視システムから、著作権違反警告メールが入ってくるから、うっとうしいので書くのはやめるしかないなー、と思うのでした。  そんなことを考えながら、Kは公園のベンチでうとうとしながら眠り込んでしまいました。


ニンビン
去年の夏ベトナムを旅行した。ハノイを中心にハロウ湾、ニンビンとゆったりと一週間ほど。ハノイにも飽きてハノイからバスで数時間のニンビンにいくことになった。現地の旅行会社に観光プランを頼むと原付の後ろに乗せられて、現地のお寺や川下り、知り合いの食べ物屋とつれ回された。ニンビンのお寺にはほとんど観光客もいなく、地元の人の公園というか庭と化していた。地元の人が集まってトランプをしている。あまりにも楽しそうなので一枚とりました。

    *    *    *    *

2006年:教育労働者

 いつも学校で不機嫌そうな顔をして、休み時間には定時制高校の職員室のKのところに入り浸っている生徒がいます。クラスのなかで話ができる子がほとんどいないこの子の職場は生鮮食料品のお店です。先日、Kはたまたま彼が働いている姿をみました。とても明るい顔で生き生きと働いているように見えました。そこで、学校に来た彼にKはいいました。
「すごくいい顔をして働いてるじゃないか!」
 彼の答えはこうです。 「ああいう顔をするように言われているんじゃ!」
 「仕事が子どもを鍛える」とかいうことが、とりわけ定時制の教員のなかでは言われたりします。Kもそういう発想のもとに生徒の職場での顔をみたのでした。ところが本人は、ブスッとしているほうが愛想笑の顔よりも「自分」なのだと思っているわけです。彼の仕事は接客ではなく、品出しですから、客向けの作り顔までさせなくてもよさそうなものですが、八百屋や魚屋の品出しアルバイト店員まで商売用の笑顔をさせられているのです。生徒は仕事によって鍛えられる、いい顔で働いている、と昔ながらの労働観でのみ生徒たちを見ていたら教員は大きな錯誤をしかねないわけです。
 そこで、Kはアントニオ・ネグリとマイケル・ハートが書いた『マルチチュード』(2004日本放送出版協会 2005 幾島幸子訳 水嶋一憲・市田良彦 監修)という本をとり出して読むことにしました。ソ連が崩壊した後でも、Kは「労働」とか「人民」という言葉に資本主義社会の現状への批判精神が宿っていると漠然と考えてきたのですが、『マルチチュード』は、なにやらそういうKの発想への批判が書かれていたように思ったからです。現在は、労働の主導権が物質的労働から非物質的労働に移行し、労働は情報化し、知性、コミュニケーション、情動を重視するものへと変容してきた、と書いてあります。八百屋の品出しも物質的労働から「情動労働」として変容させられているということなのかもしれません。
 非物質的労働が多くの労働現場で主導的な位置を占めてくるとどうなるのでしょう。肉体的労苦を上司の命令で管理されるばかりか、労働者自身のアイディア、感情、情動そのものをもまるごと動員されて上司の指令に合致させられることになる。これは強烈な疎外状況でしょう。ところがネグリ/ハートは、こうした労働状況の出現は個別に異なる労働現場のありようを超えて、私たちが共通の社会的生産の主体として出現することにもなるのだ、と言います。Kにはもうひとつ納得がいかないのです。「物質的労働」が主導権を持っていた時代のほうが「労働者」は「労働者」としての自覚をはっきり持ち、自分たちの敵がどこにいるのかはっきりとらえられたのじゃないのだろうか。労働の性格が非物質的労働的になるにつれて、労働者は多様化し分断され「階級」としての自覚を失ってきたのではないのか。ネグリ/ハートは、そのようにはとらえないらしいのです。
 情動労働の典型のような教育労働者Kは生徒の「興味関心」を評価し、「心の再生」をスローガンにする教育行政の「教育改革」に振り回されています。教員は生徒たちの「心の管理者」として期待されているのです。教育委員会は、教員の感情、情動の波長を教育委員会の波長と合わせることを要求してきます。「笑顔」を常時つくり、生徒のケアをするのがプロの教員の顔だ、というわけでしょう。さきほどの食料品店で働いている生徒は、職場での「笑顔」が自分のものでないということを自覚していますが、さて教員は、職場での顔と「自分の顔」との見分けがついているかどうか。「労働日がかぎりなく生の全体にまで延長されつつある」(ネグリ/ハート)日々が教員の生活になってしまっていないか、とKは考え込んでしまいます。
 Kは考え続けました。2時間の労働は1時間の労働に比べて2倍の価値を生産し、1時間の学習は2時間の学習にくらべ半分しか習得しない、などという考えが、だいたい当てはまるのは工場での生産労働とか、漢字の書き取りとか英単語の暗記くらいではないか。2時間勤務しても、新製品のアイディアは一向に浮かばず、2時間考えても思いつかなかった論文の書き出しが、なにげない友人との会話から見つかった、などということは「情動労働」にはよくあることです。


フジロック 
フジロックといえば雨らしい。初めてフジロックにいった2005年も例外なく雨が降った。ずぶずぶになりながらロックをきいた。夜になり雨が上がった地面は鏡のように光を反射させとてもきれいだった。ふだん雨にぬれることも、泥道を歩くこともない。雨上がりの瞬間を、意識したのも久しぶりだった。


 ところが、賃金は労働時間の長さで支払われ、単位修得数は、授業の受講時間の長さによってはかられます。教員のアイディアやイメージ、知識の生産は、目の前の生徒とのコミュニケーションを想定しつつ、過去現在の協働者との共同作業のなかで生産されます。また、教員に要求される労働は、生徒の心のケアとか24時間の生活指導、さらには卒業したあとの素行の責任まで引き受けさせられるわけですから、これは労働時間で区画されるような労働ではないことは明白です。非物質的労働が主導権をにぎった現代では、生活の全体が、生そのものが労働として動員されるのだ、とネグリ/ハートはいいます。でも、教員はとっくの昔からそういう情動労働者であったのだなー、とKは考えます。だとすれば、労働時間と生活時間の境界がなくなってくるこの時代のありようを、教員の労働は「先駆的」に示していたことになるはずです。このことは学習する生徒たちも、教える教員たちも労働時間という枠の中に閉じこめられ(物質的労働)つつ、なおその枠を取り払って学習・労働が生活を占領するという(非物質的労働)2重基準によって生を把捉されてきた、と言えるようにも思うのです。

この労働と生との親密な関係、ポストフォーディズム的生産に見られる時間区分の曖昧化は、非物質的労働の生産物にいっそう明瞭にみてとれる。物質的生産───たとえば車やテレビ、衣料、食料品などの生産───は社会的生活手段を作り出す。近代的な社会生活形態は、これらの商品なしには成立しえない。これに対して非物質的生産───アイディア、イメージ、知識、コミュニケーション、協働、情動的関係などの生産───は社会的生活手段ではなく、おおむね社会的生そのものを創り出す。非物質的生産は生政治的なものなのだ。(『マルチチュード』)

 教育労働者は、将来の労働者を再生産する生産労働者だ、と言われていた時は、学校が労働力商品を階層的に生産できていた時代だったのかもしれません。しかし現在はどうでしょう。結果的に労働力を階層的に産出しているのでしょうが、小学校から大学まで、学校は今そこで生きて生活している子どもたち、青年たちの社会的生と対面し、そこでともに社会を構成しているというほうが、実態に近いのではないか。いわゆる学歴社会的な秩序が広く信仰されていた時代には、資本が労働力の再生産システムを、学校をとおしておおむね把握できていたということになりましょう。「教育の再生」を叫ぶ人たちはそうした労働力の再生産機能を学校がしっかり担っていないという認識です。学校は崩壊しつつある「社会」「人間」をなんとか維持しようとしているのに、「教育再生」改革派は資本に役に立つ労働力の階層的生産を狙っている。教育労働者はその非物質的労働性のゆえに、「労働力」の生産というより社会化した人間の育成を行わなければならない。ところが資本は、社会化した個人が生まれてくる共同の生の場(ネグリ/ハートのいいかたでは〈共〉=コモン)を私有化と〈公〉的管理によって切り崩していっているにもかかわらず「優秀な労働力」を請求するのです。労働が〈共〉を土台にして成立する状況が増大するにつれて、資本はこの矛盾に本能的に気づき始めます。学校を狭い意味での「教育」機能に限定することをやめて脱学校化し、社会的生そのものを学校化することで生活をまるごと労働に包摂する道を歩みはじめた、というふうに考えられないだろうか、とKは思うのです(「あなたはイヴァン・イリッチを憶えていますか」教育の境界第3号)。資本は、24時間、労働者の生を囲い込むことなしには、その創造的力を調達できなくなった、ということをネグリ/ハートは逆からとらえ返しているのだろうか。労働が生活を包摂支配する局面は、労働が生活、社会的生のありように全面的に依存しなければ成立し得ない状況でもあるわけでしょう。教員に引きつけて考えてみれば、学校という枠内での「学ぶこと」と「教えること」が教員労働を定義する時代から、「学校化された社会」が教員労働を規定する時代へと転換してきたのだとすれば、労働の中身が「教育」だから教育労働者だという規定の仕方ではなく、社会的生そのものが教員の労働を全面的に規定するのだ、ということなのでしょうか。「労働者」という規定は、学生や「主婦」や退職老人、ホームレスを除外してしまいます。「教育労働者」という規定の仕方そのもの、そのような自己規定そのものが、現在の私たちの状況を捉えられなくしているのだろうと、Kは考え始めます。しかし、こうした状況は資本にとっての危機ばかりではないのではないか。

今日の労働市場のトップに位置するマイクロソフトのような企業が、無料の食事サービスやエクササイズ・プログラムなどを提供して、従業員が起きている間できるだけ長時間仕事場につなぎとめ、職場をまるで家庭のようにしていることを考えてみてほしい。一方、労働市場の下端にいる労働者は、生計を立てるためにいくつもの仕事をかけもちすることを余儀なくされている。……労働市場の上端と下端の両方で労働時間と生活時間との区別は崩壊しつつある。(同上)

 熱心な教員のなかには、学校に常時泊まりこんでいるような状態で「教育」にはまっている人を見かけます。非物質的労働というのは、その担い手の生全体を占領しかねない魔力をもっています。ネグリ/ハートは非物質的労働が生産の主導権を握ってくることの革命的意味を明らかにしようとしていますが、上記のマイクロソフトの従業員の例をもっと具体的にイメージする必要があるのではないでしょうか。精神のまるごとを企業に吸い上げられて、生活そのものが労働の中で消滅する、そういう生活者としての〈危機〉は非物質的労働者にはより多く切実になってくるのではないでしょうか。資本にとって〈危険〉な階級は同時に自らの生にとっても〈危険〉なのではないのか。ワーキング・プアーを「労働者の貧困化」というふうにではなく、貧者であるマルチチュードの可能性の増大ととらえるのでしょうが、「社会的生そのものが生産機械となる」状況が、労働者の隷属の増大ばかりではなくして、なぜ「マルチチュード」という状況を切り開く主体の形成となるのか?

  横断歩道で

 Kが車で朝の街を走っていると、ちょうど登校時間にあたりました。小学校の4、5年生くらいの3名程が横断歩道の前で止まったので、車を止めました。対向車線からくる車とバイクも横断歩道のまえで止まりました。ところが小学生はあらぬ方を見ていて、なかなか渡らないのです。まず、運転席から手で渡るように合図しても、こちらを見ていないから通じません。何しているのかな、とチョットKはイラついてきました。登校指導のボランティアのおじいさんが反対側からやってきて、渡るように小学生に指示しました。そうしたら小学生は横断を始めたのです。
 毎朝、登校指導のボランティアや保護者は、小学生が信号のない交差点にくると、黄色の旗を道に出して、安全に横断できるようにしてやっています。それに慣れた小学生は、自分で、いま自動車がとまったから横断すべきだ、という判断をしないのでしょうか。登校指導の大人は子どもたちが交通状況に注意を払って、正確な判断力を身につけるために、朝早くから立っているのではなくて、子どもたちが自ら判断しなくても安全に交差点を渡れる「装置」と化しているのでしょうか。  歩行者と車の運転者は、まったく関係ない人どうしですが、歩行者は車の動き方、運転者の視線のありかを見つつ歩き、運転者も同様に歩行者の動きや視線までよくみながら運転します。込みあっている交差点でも、歩行者が他の歩行者とぶつからず上手に歩いていますが、ここでも他人同士が、いわば物理的心理的コミュニケーションを交わしながら「道路」という〈共〉空間を共有しているのです。


交差点--ニューデリー


 ところが、上記のような登校指導という「機能」を体現した人が、この〈共〉空間に、その単機能を引っさげて登場すると、せっかく一人ひとりがその特異性のままに歩きながら、しかも〈共〉性を構築している世界が乱れ始めるのです。小学生は一人のとき、まわりの通行者、車とコミュニケーションを取りながら道を横断するという判断力を損なわれてしまうかもしれないのです。
 ネグリ/ハートは、〈共〉の世界が格段に拡大しつつあることを強調しています。〈公〉による〈共〉への機能的介入と〈共〉としてしか生成しえないはずの文化の私有化が現在、支配的状況になりつつあります。ネグリ/ハートは、私たちのコミュニケーションと協働が〈共〉にもとづき〈共〉を生み出している、この状況をよく見よ、それに未来の可能性が詰まっているのだ、と言っているわけですが、Kには昔の方が〈共〉は豊かに存在していたように思われてくるのです。
 Kが小学生にあがりたてのころ、何ヶ月かしたころ、家庭訪問にきた先生が「おたくの子はいつも遅刻ばかりしてきます。」というので「家はちゃんと間にあうように出ていますが…」と親はいいます。実は1年上の姉と一緒に登校の途中で、あちこち道草しながら学校に行き、授業が始まっているのに「先生、おはようございます」といいながら堂々と入っていた、とKは母から聞きました。登校の「道路」は単なる通路ではなかったのです。ましてや「知らない」「あやしい人」が声をかけるかもしれない危険な場所ばかりではなかったのです。帰りは帰りで、校門のまえで、子どもたちの小銭をめあてに声を掛けるおじさんがいて、みんなでそれを囲んでいたのです。今日のコモンズの縮減ははっきりしているように思えるのです。
 ネグリ/ハートがいうところの〈共〉=コモンの拡大とは、このような昔の話の線上にあるのではないのだとすれば、どういうことでしょうか。たとえば交差点で歩行者や車が物理的心理的コミュニケーションを交わしながら交通空間の秩序をいわば自主管理しているわけです。そこに集まった特異な人たちがそれぞれの特異性を保持しながら、一つの社会を自己管理する。そういうことが「情動労働」が主導権を持つようになったこの社会では、実は可能なのだ、ということなのでしょうか。伝統的な社会のなかで生きていた共同性・協働空間(コモンズ)が失われた現在、それに新たな光を当て復活させようという本来性の回復という図式にはおさまらないネグリ/ハートの〈共〉とは何なのだろうか。Kはなかなか発想の切り替え先のイメージを描くことができません。


ハノイの市場
その日は市の中心にある滞在先のホテルから北部にある市場に向かった。あいにくの天候で雨が降っている。道路は水たまりになりカッパをきた二人のりのカブが水をかき分けて走っていく。いつからだろう雨にぬれなくなったのは。日本で生活していて、雨にぬれることなどほとんどない。もちろん日本で雨が降らないわけではない。日本から持ってきた靴を袋につめて、靴下を脱ぎ、サンダルを買い市場に向かった
。

誰がマルチチュードか

 Kは、スーパーマーケットによく買い物に行きます。若いお母さんたちの会話が聞こえてきます。
 「カゴに乗ってくれる子はおりこうさん、と言ってるのよ。すぐこれ(買物カート)を押したいって言うのよ。」
「うちもそう、自転車に乗せようとすると、歩いて行くっていうのよ、だから無理やり乗せてきた。」
 2、3歳くらいの子どもをつれたお母さんが買物を袋に入れながらおしゃべりしています。一人の子どもは買物カートの子供用イスにすなおにすわっています。
 Kはこのお母さんと子どもを比べてみました。どちらがマルチチュードの潜勢力をより多くもっているのでしょうか? もちろんカートを押したがり、歩いてスーパーに行きたがる小さな子どものほうがより多くマルチチュード的でしょう。
 先日Kは、学校で宿泊研修に生徒をつれて岬町のほうまで行ってきました。事前のアンケートで、「現地集合・現地解散がいいか? 電車でみんな一緒に往き帰りするほうがいいか?」とききました。結果は後者が多数。Kのクラスだけは前者が多数だったので、Kはちょっとほっとしましたが。で、現地集合解散派と皆一緒派とどちらが、よりマルチチュード的か、Kは考えてみます。もちろん現地集合解散派でしょう。遠足くらいなら現地集合・現地解散を実施しても、修学旅行でやっている学校はまずないでしょう。現地集合・現地解散というのはリスクがありますし、団体割引ができませんから費用的にも難しいのです。でも、みんなと一緒でなくても集合場所にいける、行ってみたい、そっちのほうが楽しそうだ、電車を乗り継いで目的地に行くことができる、と思う生徒がいる、ということを確認することが大事です。マルチチュードは自由への欲望を複雑なシステムの中でも解放できる力能の持ち主でもあるのです。教員はプランニングがくせになっている「情動労働者」ですから、その枠から抜け出すのは容易なことではありません。教員は「情動労働者」というより「情動管理労働者」なのではないのか、とKはふと思うのです。社会が学校化し、大人たちはみな教員のような「教育情動」をもつようになるとしても、子どもたちの自由への欲望が消えることはありえない。そうだとすれば、マルチチュードは、マルチチュードの可能性は、私たちの日常のあらゆるところにあるのかもしれないとも、Kは思い返すのです。
 とはいえ、マルチチュードに私たちはこのように日常的に出会うことができると同時に、スーパーの2、3歳の子どもがカートや自転車に乗せられているように、また宿泊研修では皆んな一緒に電車で行くことになったように、マルチチュードは常に見えにくく、変形抑圧を被っているのだろう、とKは考えました。
 こんな話を聞いたことがあります。  東京のある小学校での出来事。給食の時間に皆んなで「いただきます」といってから食べ始めていました。ところが一人の子どもが「いただきます」というのを拒否します。担任がわけを聞くと「お母さんはいわなくてもいいと言った。給食費を払っているのだから、いただくわけじゃないのだから、言わなくていいって」。これがクラス全体にひろがり、とうとう「いただきます」をみんな言わないようになった、と。担任の教師はこの母親の理屈を批判できなかったのです。
 この風景の中にマルチチュードはいますでしょうか? ここにあるのは私たちの現在を蔽っているかのように見える殺伐たる風景でしかありません。「給食時間の改革」が進行している、といったら了解できますでしょう。マルチチュードの姿をこの中に探すことはできません。保護者、生徒、社会が「学校」の脱学校化を推し進め、学校をマクドナルド化することに成功するとき、マルチチュードは消えていきます。逆にいえば、この風景に抵抗できる者を私たちはマルチチュードと名付けることができるのではないか、とKは裏側から探ろうとします。伝統的な共同性=コモンズへの回帰でさえ、多くの特異性のひとつであり〈共〉=コモンの増大と共振しあってくるのではないのか。〈共〉は未来の可能性の姿であるでかではなく、日常の習慣や常識のうちに、私たちの当たり前の日常の事実としてあるのではないか。しかしそのことを忘れさせる「近代」の支配的システム目の前を覆っている。そういう事態への私たちのへの抵抗のなかで〈共〉が立ち現れ、〈共〉の生産が目に見えてくるのではないのだろうか、とKは考えます。
 西欧の「近代」精神は「日常」を、いわば「非日常」からとらえ返して把握します。超越的なものから「日常」を規定するのです。キリスト教の否定の精神をくぐることで近代精神は歴史に着地していましょう。しかし本来の「革命的近代」は、そうした否定の精神によって統治された近代ではないのだ、というのがネグリ/ハートが『〈帝国〉』で証したところでした。否定の精神ではなく、生を肯定し自由にする日常への愛。死や悪をなにものでもないと断ずるスピノザが見いだしたのはそういう日常への愛ではないのか。ネグリ/ハートが分かりにくいのは、私たちが超越的なもので現在や生を捉えようとしているからではないのか。
 反革命の「近代」精神にはまりこんでいる私たちがとらえる「日常」は、「死をわすれるな!」に牽制された日常です。キリスト教徒でなくても「近代文化」の経験は、私たちに日常的生への愛を忘却させているのではないだろうか。ネグリ/ハートは自らを「ポストモダン」の流れの中に位置づけています。ポストモダンの思想の中心は、キリスト教精神が作りあげた日常的生への否定を根源的に批判することだった、とKは考えています。ポストモダンの思想の核心は、日常への愛を回復することなのだろうとKは勝手に解釈してきました。ならば、超越的なものの支配、管理が無効になっていくポストモダン状況の先にイメージされるのは、マルチチュードの日常への愛が生み出す〈共〉の多数的秩序以外ではないはずです。それを私たちは、たとえば「人民」によるありうべき「革命」という非日常から診断しようとする思考の癖をもって見ようとします。マルチチュードは、君であり私であり、出会ったこともない彼、彼女たちであるのに。

ハノイの食卓

マルチチュードは料理する

 タマネギと人参をすり下ろして鍋にかけ、バター2さじで一煮立ちさせた後、熱湯をかけて塩をふっておいたアンコウを並べ、白ワインカップ1、塩で煮る。パセリの茎を香り付けにいれる。───レシピにはそう書いてある。アンコウのかわりに、サワラを使うとしてだ、あ! 白ワインとパセリがない。幸い切れていたバターは一昨日買ってある。でも、1日冷蔵庫でねているサワラは、これ以上おいておくわけにいかない。前の日にサワラの味噌づけを焼いたので、焼き魚でごまかすわけにはいかない。「前の日に食べたのと同じものを買ってくるな」とKはつれあいに文句をいうと「だって安かったんだもの」。付けあわせの粉吹芋用のじゃがいもも切れている。買い物にいく時間がない。しかたがないので休日のつれあいに買い物を依頼する。
 朝ご飯担当のKは、前の日に何をつくるかメニューを決めます。寝る前に料理本をちらっと見ておく。在庫の食材をにらみながら、これにしよう、と思っても「揚物が多いぞ」とか何とか家族からクレームがつく。煮物にしようと思っても、適当なのが思い浮かばない。レシピを見ないでつくれるものにするときは、つくる意欲がわかない。せっかく「力作」をつくっても、前日夜遅かった家族はお腹いっぱいで食べられない、なんてこともあるから、前日の家族の行動も考慮しなくてはならない。お弁当も一緒に作る日は作るものもふえるから、その手順が大事になる。食事開始時間にあわせて何を先にして、何を後にするか判断しながら用意しないといけません。それに作りながら、すでに使い終わった食器や鍋など手ばやく洗っておかないと狭い台所がいっぱいになったり、後片づけのときに作業が多くなるので、調理の合間を見て片づけられるものは片づけないといけません。前日の残りをいかに再利用するかも考えないと、冷蔵庫の中が残り物だらけになります。買物などをいちいち打ち合わせなどしている時間はありませんから、つれあいの買い物と重なってしまうこともよくあります。
 さて、Kは、できあがった「作品」にたいする家族の反応で一喜一憂。もちろんKなどより腕のいい娘やつれあいが「批評」するわけです。「パスタをゆでるとき入れる塩はまだ少ない。海と同じくらいの湯でゆでるんだよ!」といわれても、習慣でつくっているものは、つい忠告などわすれて毎回同じ失敗をしてしまいます。
 Kは自分にもマルチチュードになる素質があるということを料理をしていて気がつきます。料理は、きわめて高度な情動労働であり、コミュニケーションの生産、家庭という社会そのものの生産である、ということをネグリ/ハートは言っていたからです。

他方、工業の主導権のもとで従属的立場にあったもうひとつの労働形態である、伝統的に「女の仕事」と呼ばれてきた仕事、とりわけ家庭内での出産・子育てにまつわる再生産労働は、農業と同じ種類の、自然と密接に結びついた知識や知性からなる開放的な科学の実例でもある。...たしかに家事労働には掃除や料理のような反復的な物質的な作業が必要だが、そこには情動や関係性を生み出したり、子どもや家族およびコミュニティー内のコミュニケーションと協働の諸形態を生産する作業も含まれる。情動労働は、多様な社会的関係や生の形態を直接的に生み出すという点で、生政治的生産にほかならないのだ。(同上)

でも、ネグリ/ハートの上記の引用は「再生産労働」といっていたり、料理を「反復的な物質的な作業」などと言っています。これは、少しちがうな、とKは思うのです。家事労働における物質的な作業と情動労働を区別しているけれど、家事労働は情動労働そのものでではないか。生政治的生産そのものでしょう。家事労働が肉体的労苦そのものになっていったのは、日常が「外食労働」などの労働概念にさらされてからなのではないか。家事労働は不払い労働であり、シャドーワークだと。「労働」という概念が私たちの思考を縛ってきたのではないか、とKは疑います。

「常民」はマルチチュードか

 ネグリ/ハートのいう〈共〉のイメージは伝統社会の共同性と無縁ではありません。それなら、〈共〉を創造するマルチチュードの力能の具体的イメージを、伝統社会のなかの庶民たちの共同性から描くこともできるのではないかとKは考えました。柳田國男のいう「常民」をマルチチュードとしてとらえ直すことはできないだろうかと夢想したのです。「民俗学」という「学」をちゃんと学んだわけではないですが、Kは若いときに作った民俗学の教材テキストをまとめていました。それは柳田國男や折口信夫のテキストを参照しながら高校生用にリライトしたようなものでした。
 そこから、常民とマルチチュードの接続や断絶を考えてみようと思ったのですが、その前に、Kは「教材研究」の危うさが気になりました。自分で作った教材が、まったく種本の枠内にしっかりはまっていること、またそのことを素直に受け入れていることにもひっかかります。
 たとえば、子安宣邦は、民衆の語りをナショナルな物語として創造する学だとして「日本民俗学」を批判しています。子安によれば柳田國男の語りの前提にあるのは、一つの世界であるはずの「日本」であり、その構成員である日本の「常民」です。日本の各地にある、多様な生活習慣や伝説や昔話、民俗信仰は、かならず一つのものに還元されて理解できるという信念です。近代の国民国家を構成する「国民」を発見しなければならない使命感に燃えていたかのように、柳田は民族の集合意識にまで分け入って「国民」を発見しようとしているのです。ここで柳田によって発見される「国民」が、柳田自身によって日本国民の共通の伝統として構成され、この柳田の視線にそって、日本の常民は調査探求されていくことになります。
 子安は柳田は「旅人」ではなかった、と主張します。沖縄との出会いは、柳田学の形成にとって決定的な役割を果たしますが、柳田が発見したのは「沖縄」ではなく「やまと」なのだ、と。沖縄に旅して柳田はすでに本土では消滅してしまった古来の痕跡を沖縄に見いだしているのだと。日本の各地を旅して柳田は、その現地を発見したのではなく、発見したのは「やまと」なのだ、というわけです。(『近代知のアルケオロジー』岩波書店、1996年4月)  こうした批判は「日本民俗学」の内部からはおきてきません。このことは「日本民俗学」を「学」と考え、それを「教材」にしている限り、子安氏のような批判は日本民俗学の「教材」にはなりません。教材は、その基礎を作っているはずの学問への参入が前提ですから、根源的な批判を携えての参入はあり得ないのではないでしょうか。
 高校の先生たちのなかには、おそるべき熱心さで教材研究をおこない、その分野の知識をたくさんもっている先生がいます。研究者とも言えそうな人もいます。しかし教材研究からさかのぼる「学」は、じつはその「学」に入り込んだだけで、その学の境界を越えることはないのではないでしょうか。教材化した「学」はおおむね外部を持たない学になるのではないのでしょうか。そうした傾向性を教材研究という制度は孕んでいましょう。Kは自分が「日本民俗学」に関心を持ち、それを教材化するなかで、「日本民俗学」のナショナルな性格を吸収していったのではないのか、と思い返します。
 しかし、とKは考えます。柳田國男の問題意識がナショナルな物語の構成にあったとしても、前近代の常民世界を近代のナショナリズム物語で枠づけるのは実のところ無理があったのではないのか。日本民俗学からナショナリズムの眼鏡を外してみるとどうなるだろうか、とKは考えてみます。
 「正月」を論じるあたりの柳田の論法は、かなり強引なのです。お正月の「まれびと」が元来は祖霊であると考えたいために、各地のお正月行事の事例を収集したのだろうという印象は否定できません。日本に限らず「まれびと」信仰は世界各地にあります。ところが柳田はそんなことは百も承知の上で、日本国内に限定する聞き取りをやって「祖霊信仰」と正月をくっつけていくのです。膨大な調査データから、祖霊信仰とつながりがありそうな事例を引っ張ってきて、そうしたさまざまな展開を一つの系統樹にまとめあげていくのです。
 ところが、柳田のナショナリズムは定着農耕民の「祖霊」信仰に収斂するかたちで成立しているのではありません。日本列島の文化的統一性を成立させてきたのは定着農耕民ではなくて昔話や伝説を語り歩いた宗教者、あるいは漂白の芸人や職人などの「旅人」です。「祖霊」でさえ村落共同体の外部から訪れてくる「まれびと」なのです。村落共同体の外部こそが列島文化の統一性を保障するものとして描かれます。ナショナルな共同性は近代国家の成立によって生まれてきました。とりわけ印刷技術や学校制度の確立に負うところが大きいわけですが、そうした近代のメディアによって広められていった文化の中身は、支配的な階級のそれではなく、「国民的」広がりを持った中身でなくてはなりません。柳田が構築してきたのはそうしたナショナリズムを構成するコンテンツなのです。
 近代のナショナリズムは、他のナショナリズムと対抗しうる国民の共同性を構築する作業でした。「日本民族」の伝統をアジアや欧米のナショナリズムに対抗するものとして強調するという方法です。こうした対抗的構築によるナショナリズムは、日の丸や君が代を強制するナショナリズムとして現在でも営々と受け継がれています。
 ところで、柳田が日本のナショナリズムを作り上げた論法は、外部こそが文化的統一性を形成したのだから、その外部も含めて、あるいは外部の存在こそが「日本」を形成したのだというものです。村落共同体の外部排除性や共同体同士の対抗ではなく、移動民によって「日本」という統一性は生成されてきたのだ、ということです。「日本」の外部のネイションに対抗させて「日本」を形成させたのではなく、村落共同体とその外部とのコミュニケーション空間の自己生成の物語を柳田は語ったのでした。いまだ「日本」というナショナルなまとまりが明確な姿を見せてはいない時期にです。
 今日、柳田に敬意を表わすのだとすれば、「日本民俗学」を教材にすることではなく、ネグリ/ハートが言う意味でのグローバルなレベルでの「マルチチュードの人類学」の視点から常民の物語を読むことではないでしょうか。共同性の伝統と〈共〉の共振のなかで、日常的生を語り始める語り始めるマルチチュードを見いだすことにこそ意味があるのではないか、とKは思い返しました。

水原
ソウルから電車で一時間ほどで水原(スウォン)についた。坂を上り水原華城(スウォンファソン)から水原を一望した。山手には、高層マンションが立ち並んだ、ソウルのベットタウン。城の真下は下町が残っている。城壁を一周し、城の正面の急な階段を下った。階段を下りていると塀の向こうからにぎやかな声が聞こえてきた。

〈共〉の物語

 マルチチュードを具体的にイメージできるようになるためには、私たちの日常への愛を回復する必要があるのではないか、とKが思い至ったときに、彼は韓国の映画やドラマに宿っている「生への愛」とも言うべき心性を考えてみる必要があるのではないかと考えました。超越的なものを媒介することなく日常に注ぐいとおしさのようなものが映画やドラマの基底にあるようにKは感じてきたのでした。
 たとえば、韓国映画「僕の彼女を紹介します」(監督 クァク・ジェヨン 2004年)を取り上げてみましょう。この映画には、四十九日の伝統が現代の〈共〉として再生しているのです。
 婦人警官のギョンジン(チョン・ジヒョン)は、職務遂行中に、あやまって恋人の高校教師ミョンウ(チャン・ヒョク)を射殺してしまったと思い込み、自殺を試みます。映画のオープニングはギョンジンがビルの上から飛び降りる場面です。韓国の映画には、近しいものとの死に別れがしばしば出てきます。日本でも「純愛もの」と称して、死に別れる恋人たちを描いた映画が流行っているようですが、国土が戦場になった朝鮮では韓国だけでもいまだに離散した家族をもつ人は1千万人といわれます。死別の経験は「民族」の苦渋であり、「民俗」にさえすり込まれるような集団の体験でした。生き残ったものが死者の後を追わないためには、文化的倫理的支えを必要とします。
 ミョンウが死んだ後、ギョンジンが生を続けるのは、四十九日までにもう一度ミョンウに会おう、絶対に会うのだ、という決意でした。ギョンジンは四十九日に霊となったミョンウに会うことができます。「僕がいないときは、この風を僕だと思って」と二人で遊びに出かけたときにミョンウが言ったように、ギョンジンは部屋を吹き抜ける風のなかにミョンウを見るのです。もう行かなくてはというミョンウについて行こうとするギョンジンにミョンウはいいます。「僕と同じ魂をもったひとにあなたは出会うから、僕と一緒に来てはいけない」と。
 四十九日は死者と生者の「別れの儀式」です。この伝統的な儀式を、「僕の彼女を紹介します」は、見事に、現在を生きる人々の世界に接続させていました。習慣や文化は新しい試みとうまく接続することで、それが持ち伝えてきた精神を更新していきます。それは文化をささえる一人ひとりの感性のなかにしみ込んでいき、〈共〉になるのです。
 Kが読んだ、スーザン・ソンタグの死をつづった息子デイヴィド・リーフの「死の海を泳いで」(『世界』2006・5)は名文でした。ソンダクの生き方、死に方は感動的でさえありますが、「僕の彼女を紹介します」の思考の中にあった「別れの儀式」の伝統はありません。医療のなかの「個」の壮絶な戦いの記録ではあっても、死に行くものが生者に何を残すのか、生者はいかにして死に行く者をおくり、いかにして生き続けることができるのか、という問はありません。

ニューデリー


 宮本常一の名著『忘れられた日本人』に、村を訪れた宮本が、村で所蔵している文書の閲覧の許可を申し入れたときの様子を記述した部分がありました。村人たちが縁がわでの雑談のなかで、この申し入れについてチラッと話しあっているのですが、なかなか返事がこない、何日かたって、ようやく「みれば悪い人でもなさそうだし…」というのでやっと許可されたという話です。これは近代の民主主義の決定方法とは違っています。どこに決定の権限があって、どういう機関でそれを決めるかではなく、話題が回り回っていく中でなんとなく決まっていく。いってみれば「主権」が決定するのではなくマルチチュードの決定なのです。
 伝統的な社会のなかの共同性をイメージすることは比較的やさしいのですが、この近代の果てに、各人がそれぞれ全く異なった生産に従事しながらも、相互に密接に協働しあうことで経済や社会が可能となる新しい〈共〉的社会が出現しているのだ、というのを具体的にイメージするのが難しいのです。しかし、伝統社会の共同性と出現しつつある〈共〉は、根っこの所でつながっているのだろうとKは考えます。
 ホ・ジノ監督の映画「八月のクリスマス」(1998年)は小さな写真館を営むジョンウォン(ハン・ソッキュ)が、死期の迫るのを感じながら、老いた父に写真館の機械の操作について書き残し、父親にていねいに教えている姿が描かれます。ジョンウォンに好意をよせるタリム(シム・ウナ)にジョンウォンは、写真館の陳列棚にタリムの笑顔の写真を残していきます。ここにあるのは「主体」や「個」の死ではなく、ともに生きてきた親しき者たちへの配慮です。韓国のドラマ「愛の群像」や「ローズマリー」のように「個の死」への苦悶は描かれるとしても、それは残していくしかない愛する人たちへの配慮の行為によって昇華されていきます。死は「個」を襲う事実であるばかりではなく、〈共〉を生きてきた者たちの共同性にたいする直接の脅威でもあったのです。死者たちは、最後の戦いを〈共〉を守ろうとすることで「個」に襲いかかる恐怖を乗り越えようとします。ここには伝統的社会の共同性を、西欧的「個」の浸透する中でどのように再生成するのかという課題意識がありましょう。それは近代の果てに生じているこの私たちの社会が、不可避的に他者との〈共〉を生きてしまっている状況に呼応しています。西欧現代思想が「他者」をどのように「個」に迎接するかに苦闘してきたとしても、この東洋の片隅では、日常の習慣や作法の中で〈共〉が息づいていたのです。ネグリ/ハートの「マルチチュード」、その物語をより豊かに紡ぐことができるのはもしかするとアジアにおいてかもしれません。でも、とKは立ち止まります。共同的なものを失ったかわりにナショナルな感情で共同性を代行させようとする日本で私たちはマルチチュードの物語を紡ぎ出すことができるのだろうかと。

デリー再び
2004年、中学生のときの同級生とバックパックを背負ってインドに半月旅に出た。大人につれられずに海外にいくのは初めてだ。デリーの空港を出れば多くのインド人がよってきてせっせと仕事をする。ツアーを組まないか、タクシーに乗らないか。売るものがある人、ない人よってくる。リクーシャで目的地じゃないところにおろされたり、観光ツアーをくまされそうになったりと振り回されながら、デリーを後にした。半月後、日本に帰るためデリーに再び来たとき、だまそうとしてよってくる人、手口、町の地理、多くのことがわかるようなった僕たちは、だまされることなく明日の帰国に向けてホテルをとった。ホテルの窓から眺めた風景は半月前のそれと違ってみえた。

ナショナリズムと「教育改革」

 柳田や折口信夫が語る物語は、近代の物語というよりも、近代のなかで消滅していく伝統社会でした。ナショナリズムに回収されていない人びとの生活を描くことで、ネイションの心性を育てるという逆説がそこにはあります。
 伝説を説くところで柳田は、たとえば弘法清水の伝説は、その地元で弘法大師(ダイシ)が水のないこの地方に豊かなわき水を創設されたのだと信じて語り伝えてきたので、これを疑ったりすると地元の人は怒るのだ、と説いていました。ここでの空海、弘法大師は日本史の教科書にのっているような日本の文化人・宗教者として、日本のナショナリズムのうえで語られる空海ではないわけです。毎日の生活に必要な泉を掘削してくれた偉大な「まれびと」としての信仰の対象であったわけです。  ナショナルな物語に、人びとの生活の細部まで回収しようとする国民国家の政治は、成功してきたと思われていますが、それほどのことではないようにも思います。靖国神社が伝統的な神社信仰や祖霊崇拝とは別物のツクリモノであることは、すこしでも民俗学にふれれば容易にわかる事です。近しき者の死に面した人びとは死者のなきがらを郷里の山河の見えるところに埋葬し、毎年、子孫たちを守るために訪れる神としてイメージしてきたのであって、遠い地で二百何十万の者たちと勝手に合祀されて無機質なモニュメントにされることを喜ぶような感覚とは無縁であるわけです。
 ベネディクト・アンダーソンの『比較の亡霊』(作品社 2005 糟谷啓介・高地薫 訳)にこんな記述があるのをKは見つけました。

ところが、その朝、ルネタ公園でもうしばらく待っていると、あらゆる方向から、おびただしい数の巡礼者たちが列をなしてどっと押し寄せてくるのが目に入るだろう。多くの者は、白い衣装をまとっているか、さもなければ1896年のフィリピン革命が最初に掲げた旗の色の衣装を身につけている。巡礼者たちは何をなすべきか全くよく心得ている。彼らは各自の典例にしたがって、詠唱し、歌をうたい、祈り、ひざまずき、目を閉じて瞑想し、列になって行進し、手をつなぎあい、むせび泣き、神に慈悲を請うのだ。これらの人びとは漠然と「リサール信者」と呼ばれている。なかにはリサールは「磔刑にされた第2のキリスト」「フィリピンのキリスト」だ、だからルネタはゴルゴだの丘だと信じる者もいれば、リサールは決して死んでいない、どこか聖なる山のいただきで、自分の苦しむ民衆を救うために舞い戻る時期を待っているのだ、と信じている者もいる。さらには、とくに聖なる時と場所──なかんずく国家が定めたリサール記念日とルネタ公園の記念碑──では、秘術によってリサールの力強い霊魂に触れる事ができるのだと信じる人もいるのだ。つまり、リサールはいまもなお、ここにいるのである。このような人びとは、リサールという霊的媒体を信じているのであって、流通媒体としてのリサールを信じているのではない。彼ら巡礼者のことを政府は頑として無視するが、それは「最初のフィリピン人」が審判をくだすために戻ってくるという考えが政府の意向に合わないから、という理由だけではない。なによりもまず、政府自体のおこなう儀式の典例が、リサール(像)というものは他の何者かにとって代わることができるという考えにもとづいているからである。だが、巡礼者そのひとにとっては、リサールは「唯一のもの」──ほかのものと交換できず、売り買いできず、系列化できないもの──であり、そして、人を引きつけるリサールのアウラは、まさに『宮廷の侍女たち』にみられる、オリジナルな個という概念から生じているのである。

 フィリピンの国民的な英雄、ホセ・リサールは、スペインの植民地支配下で36歳で銃殺されてしまいますが、フィリピン共和国革命政権を押しつぶしたアメリカ植民地権力は、フィリピン国ナショナリズムの象徴としてホセ・リサールの彫像をいくつも作る事を許可します。1946年アメリカから独立したあと、フィリピン政府は、ルネタ公園のこの殉教者の像の前で公式の儀式を行います。こうしたナショナル意識へと独立の英雄を回収する国家の営為とは別の物語にアンダーソンは目を注いでいます。
 典型的な国民国家の物語に回収されるような独立の英雄についてでさえ、マルチチュードは別の物語をさまざまに語ってきたのです。靖国神社から神社信仰を逆推して、ナショナリズムにマルチチュードの伝統や創設を囲われてしまわないようにすることと、マルチチュードの物語を語ることとは同じことなのかもしれません。マルチチュードの物語は、これから語られていかなければならないと同時に、ナショナルな物語とは別の仕方で語り継がれても来てもいたのだということを、アンダーソンは教えてくれています。
 ここからKは今日のナショナリズムと「教育改革」の共振現象を仮定できるのではないかと思いだしました。  共振現象というのは、サイードが『文化と帝国主義』で駆使した対位法という方法を参照してのことです。サイードはいいます。「かけはなれているように見える経験が、それぞれ、それ独自の将来像なり発展速度をもち、それ独自の内的構造をもち、それ独自の内的首尾一貫性と外的関係システムをもちながらも、同時に、それらすべてがたがいに共存し作用しあっていることを、わたしたちは見抜き、解釈できるようになるべきなのだ。」(『文化と帝国主義 1』)と。  今日流行のナショナルな気分は、共同性を見失った者たちの仮想的コモンズへの熱です。「教育改革」をめざす人たちは、他者がおこなう改革と自分たちの改革を、つねに比較し、どちらが「進んだ」改革であるのか、どちらが根源的な改革であるのかを競う傾向があります。このような改革比較競争は、一つの前提に立っています。それは改革の対象となる「伝統」や「習慣」はみな同じであり、固有の性格や論理はその中にはない、という暗黙の断定です。なぜなら、改革すべきものがぞれぞれ固有の顔をもっているなら改革比較競争はできないからです。伝統や習慣を単一のものとして創設、固定し、他国との対抗で盛り上がるナショナリズムもまた水平比較対抗思考なのです。反歴史主義的傾向もこれに張り付いていましょう。
 『比較の亡霊』の序文のなかで、スカルノ大統領の演説を通訳した時の「めまい」についてアンダーソンは書いていました。スカルノは左翼の人間だと自負もしていたし、ヒトラーの支配の恐ろしさも知らないわけではないのに、演説の中でヒトラーの第三帝国の構想の素晴らしさを説いて見せるわけです。この時通訳者のアンダーソンは「私はといえば、一種のめまいのようなものに襲われた。私の短い人生ではじめて、接眼レンズと対物レンズをひっくりかえして望遠鏡を見るように、私のヨーロッパを眺めさせられたのである」といっています。この経験を整理する言葉に、アンダーソンは四半世紀後に出会ったといいます。それがホセ・リサールの「比較の亡霊」という言葉です。この言葉でリサールが言おうとした事は、アンダーソンによれば「ひとたびそれに触れたら、以後はけっしてマニラのことを同時に考えずにはベルリンを体験できず、ベルリンのことを考えずにはマニラを体験できなくなってしまう新たな不安定な二重性の意識」です。アンダーソンはナショナリズムの根源をこの「不安定な二重性の意識」にみます。
 様々な教育改革、そして多様な民族や国籍が混在する状況の出現が、現実の学校を「真の教育改革」をめざす目で睥睨させ、現実の社会状況から「ネイティヴ」を抽出するナショナリズムを生み出すのです。ヨーロッパ近代史の伝統的理解によれば、ヒトラーの評価は揺らぎようのないものです。ヒトラーを「ずばぬけて賢い男」というスカルノの称賛など出ようがありません。しかし、ヨーロッパ近代史は同時にヨーロッパからの視点です。安定していた歴史観は、自らが生成したナショナリズムの広がりによって揺らいでしまうのです。イランのアハマディネジャドの発言に欧米のネオコンたちは「めまい」を感じるのでしょうが、「民主主義」の使徒たちは世界中の「伝統」や「習慣」に根こそぎ同質の「改革」を断行しようとします。しかしその刃は、ブーメランのように欧米や「改革」者に帰ってくるのです。  「教育改革」にとっては「教育」というのは形式的な接頭辞にすぎません。「改革」だけでいいのです。なぜなら、学校や教育という境界設定をこえてこそ「改革」なのだという認識だからです。改革は通常、時間軸で考えられます。古い習慣をやめて、新しい試みを実行するのだ、というふうに。しかし現在の改革は、水平比較改革です。隣の改革を取り入れること、あるいは海の向こうの改革をわれ先にと後追いすることがめざされます。こうした思考を土台のところで支えているのは、「伝統」や「習慣」とそれを日々生産してきた「日常」の細部への軽視であり、そうした「日常」をナショナリズムとか「改革」の理念で、克服したり統括・管理しうるという思い込みなのです。そうした超越的な理念の支配をのりこえる力能を、ネグリ/ハートはマルチチュードに見いだしたのだろうとKは思うのでした。

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 そうだ、あの教育改革というのはナショナリズム運動だったのだ! そう叫ぶ自分の声に驚いてKは目を覚ましました。あたりはすっかり暗くなっていました。時計を見るともう8時前。いけない、老人の外出は8時まで、だったかな。老人はみな徘徊老人あつかいだからな、まったく。はよ、家に帰らなくちゃ。5年前にもどったのかな、夢で。いまごろ夢で気がついても遅いってもんだな。              (きたづめ みちお)

       写真およびキャプション 北爪ゆう        http://syscosco.sakura.ne.jp/foto.php


 


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